オーロラを見ながらふと思った「たあいの無い」こと
毎年、冬になるとオーロラを見にどっとフェアバンクスの町に人が押し寄せてくる。今でこそオーロラの魅力を知り、大勢のファンがいることが理解できるようになったが、昔はオーロラなどにはまったく興味がなかった時があった。その頃、知り合いに2月にオーロラを見にアラスカに行くという人がいたが、まず最初に思ったことは、「へ?2月にわざわざ、なぜあんな寒いアラスカへ何をしに??」という疑問が沸いたことを覚えている。
それにしても、日本からフェアバンクスにオーロラを見に来る人は多い。観光でやってくる人の9割以上は日本人ではないだろうか。人によっては半日以上の時間をかけて飛行機を乗り継ぐことになるのだが、そこまでしても「是非オーロラを見たくて・・・」という声を多々聞く。一体、何が彼らを惹きつけるのであろうか。
やはり、夜空に踊り舞うあの光り輝くカーテンとは人の心を捉えて止まないロマンというか、壮大な自然美の真骨頂なのであろう。もちろん理解できる。その一方で、オーロラを見にやってくる人の中で、あまり他の国籍の方達というのは見かけられないのだが、これはなぜなのであろうと疑問に思っていた。日本人がこれほどいるのに、他の国の人はどうしちゃったのかな?・・・、ましてやアメリカ人の人もあまり見かけられない。
フェアバンクス地元の人は自分の家からでも毎日でも見られる訳でまだ分かるとして、例えばアメリカ本土からの人もあまり見かけられない。たまに見かけるときがあるのだが、数が圧倒的に少ない。この間、アメリカ本土からオーロラを見に来ていた人に思わず質問してみた。
「あんまり本土の方っていらっしゃらないですね・・・」
「オーロラの存在自体は知っているんだけどね、大体は寒い時になぜアラスカに?って言うよ。やっぱり冬は暖かい南部に行く人が多いよ。それにこっちに来ても必ず(オーロラを)見られるわけではないしね・・・。」
理由はこれだけには限らないと思うが、かなり的を得ているかも知れないと思う。個人的には、ある意味「国民性」というものがあるのかなと考える。何と言うか、オーロラが日本人の心により強く訴える、と言えばいいのだろうか。感受性の度合いが違うとでも言えばいいのだろうか(他の国の人が美の鑑賞力が劣っているということではない)。うまく説明できないが、日常では見られないものを見ようと、腰をあげて飛行機を乗り継いででも自分の目で見ようとする好奇心や興味が我々、日本人の方が少し大きいのか・・・。とにもかくにも、我々の心をくすぐり磁石のように惹きつける何かがオーロラにはあるのだろうと思う。
ただ面白いなあ、と思うのは、見る人の中にもオーロラを見たときの印象度というものが違うことである。色もついてかなり光を増して動くオーロラを見ても「うーん、いまいちだ」という人もいれば、少々パワー不足かなと思われるものでも、すごく感動してよかったと言う人もいる。一晩見ればもう満足という人もいれば、毎年やってこられるリピーターの人もいる。よく「今日のオーロラはどうですか?」聞かれる方がいるが、正直回答に非常に窮する。オーロラには変わりないわけで、自分の個人的な尺度というものを当てはめるわけにはいかないからだ。色、形、動き方、大きさなど、毎日違う姿を見せてくれるので、どれが最高ということは一概には言えないと思う。いつも思うのは、オーロラのみならず、「自然が奏でる美」というものは各人がそれぞれどう見るか、感じるかというものが大事であって、言い換えて見れば「人それぞれ」のオーロラがあってもいいのではないかということだ。オーロラ見え方がいい、悪いと問うよりも、オーロラという自然が創り出した美に素直に感謝して尊び、謙虚に喜び感動する − そう言った心をいつまでも持ちつづけられることに意味があるのではないかと思う。オーロラはそんなことを普段の生活の中に思い出させてくれているのではないだろうか。そうした心躍る気持ちを帰国と共に持ち帰ってくれれば、これ幸いである。
(3月某日 ヤザケン)

ヤザケンの写したオーロラ ヤザケン自慢のオーロラ 魚を釣って子供のように喜ぶヤザケン